2024 05,20 01:59 |
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2007 03,03 12:48 |
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もう先週の話ですが~、 何をおもったか、安土城考古博物館へと行ってきました。 何の目的で行ったかと言うと、ここには、これまた結構前(何年か前~)になりますが、スペイン、セビリア万博にて、日本館の呼び物のとして再現された、「安土城天守閣」が展示されているということだったので、見に行って見にいってきたという感じ。 「安土城?」なんていう人もいるかもしれない程、今やとてもマイナー存在ですが、少なくとも、400年前はめちゃすごい建築だったようです。 建築を命じたのはあの「織田信長」 当時としては画期的な絢爛豪美を誇った姿よりも、なんとなく、自分的には、築城3年くらいで燃えてしまったことの方が有名なお城。 城跡は、周りの平野に比べてちょっと小高い丘みたいな「安土山」にあり、そこには今や、基礎跡くらいしか残っていません。でも、その基礎跡であっても10年程前からの発掘調査にて、整備したものということでした。 天守閣は6階建ての最上階とその下のみ再現で、それはそれで「ほほぅ~」と思いましたが、やはり少し力不足。こういう博物館は、日本中にいっぱいあると思うけれど、週末だと言うのに、客はガラガラ、、、かといって凄い込み合った博物館なんて絶対行きたくないですけど・・。 穴場的な感じもいいとは思うんですが、やっぱりちょっと心配。きっと「安土町」の住民みなさんで少しづつ、赤字を補っていっているんだろうなと。 この呼び物的にも興行的にも、中途半端な施設っぷりをみているとちょうどバブル崩壊とともに、考古ロマンを刺激する発掘調査にも資金的に限界がきて、なんとなくここいらでやめとくか・・という役場の雰囲気を感じたりもするのですが、勘違いだったらいいのになぁと言う感じ。 せめてもう少し、信長の時代が続いていれば、この場所はきっと凄い発展を見せていたんだろうな・・そうすると、日本中のお城にみたいに再建されたりもしただろうし、もっとこのガラガラ度を改善するための一手を打つことが出来たような気もするんですよね。 今更、「安土城再建」みたいなバブル的な公共事業は無理がありますしね~、 それでも何とか細々と、世の人々に「安土城」が『存在』したという事実を忘れられないように伝え続けていくというのが、当面の使命というところなんでしょうね。 それでもやっぱり、安土周辺て、北は米原、南は草津等までずっと凄い広い平野なんですよね。琵琶湖もあるし、都市計画視点の立地的には、隣の京都よりもずっとずっと発展の余地があって日本の中でも都市を作るのにはいい場所なんですよ。きっと織田信長もこの立地でこの場所に決めたとも思うのです。 信長よどうしてもっと生きてくれなかったんだ・・本当に残念。 でも、過ぎたことばかり言ってても始まらないので、まずは手始めに国道8号線を広げましょう!!琵琶湖東側地域の幹線道路なのに、片道1車線では物の往来が進みませんぜ!名神高速道路では通過されてばっかりです。新幹線の栗東駅作る前に道路を広げましょう・・と滋賀県知事にほんとに言いたい。 本当に発展する気あるんですか?なんて思うんですよね。 でも、これってバブル期の地方の考えを無視したエゴエゴデベロッパーの発想ですかね・・ 場所はmaps.google.co.jp/maps 施設はhttp://www.azuchi-museum.or.jp/ coupons.yahoo.co.jp/bin/detailview その他の写真はフォトログへ PR |
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